ロシアは、世界有数の市電大国であり、現在約60の都市で路面電車が活躍しています。
ソヴィエト時代には、もっと多くのまちに市電がありましたが、交通渋滞の影響により、残念ながら廃止されていく路線は珍しくありません。
そんななか、交通渋滞など何のその、混雑する都心を、一年中いつもスイスイと路面電車の走るまちがロシアにあります。
それが、今日ご紹介する、ボルゴグラード市のメトロトラムです。
ボルゴグラードは、みなさんご存知の通り、ボルガ川沿岸の約100kmにわたって伸びている都市ですが、その幅はわずか数キロメートルです。
第二次大戦後、完全に破壊されていたこの町(当時の名称はスターリングラード)を再建するにあたって問題となったのは、産業の集中する区域が、そこで働く人々の居住地域から、遠く離れているということでした。このことは、ボルゴグラード市の公共交通機関を整備する上で大きな課題となりました。
やがて、1970年代になると、ボルゴグラードは交通渋滞を経験するようになります。当時ソ連では交通渋滞はとても珍しく、首都モスクワですら渋滞はなかった時代のことです。最良の解決策は地下鉄でしたが、ソヴィエト連邦では、地下鉄建設が適用されるのは人口百万以上の都市とされており、その頃ボルゴグラードの人口は約80万人にすぎませんでした。それに、百万都市ですら、即座に地下鉄を手に入れられるような状況でもありませんでした。
そこで、窮地を脱する案として、ボルゴグラードでは、都心の特に渋滞のひどい区間について、従来の市電をそのまま地下化することにしたのです。
その際、工事にあたっては、将来本物の地下鉄に改造しやすいよう、トンネルの寸法は、通常の地下鉄の規格に合わせて作られました。
また当時、ソ連の路面電車の車体には、バスのように前方にしか運転台がなく、ドアは進行方向にむかって右側にしかないのが一般的でした。そこで、自動車と同じ道路を走る地上では、路面電車は今まで通り右側を通行しますが、プラットホームが上り線と下り線の真ん中に作られている地下区間では、トンネルの最初と最後の部分で、上りと下りの線路を立体交差させ、左右を入れ替えることによって、ホームのある側にドアが来るように、工夫が施されました。
こうして、1984年、世界でも大変珍しい、地下を高速で走る市電「メトロトラム」が生まれたのでした。
現在、ボルゴグラード市電の総延長は58km、そのうち地下区間は17kmとなっています。
ボルゴグラード市は、第二次世界大戦の経験を分かち合うため、1972年、日本の広島市との間に姉妹都市提携が結ばれました。
広島市は、平和都市であるとともに、日本最大の路線網と車両の動態保存を誇る路面電車のまちとしても、世界的に有名ですね。
お互いに特徴ある市電を持つ都市・ボルゴグラードと広島のあいだで、路面電車を通じた交流が、いつか実現したら楽しいですね!