スラヴ文化の神髄に触れるモスクワ、イワン雷帝時代に形成されたロシア人気質

 

今モスクワは世界に誇るロシア文化芸術を形成しています。例えば、

・ボリショイ劇場でバレエを鑑賞。りんとしたバレエで感動をお約束できます。

・ロシア民族楽器博物館で、コサックダンスやロシア民族衣装でロシア人気質を体感できます。

・文豪レフ・トルストイ(市内の家博物館と文学資料館、夏の家ヤースナヤ・ポリャーナ)でトルストイ思想を通して、壮大なロシアインテリ思想を体感できます。

・ロシア正教総本山やセルギエフ・ポサド大修道院でロシア人の心を感じることができます。

・ロシアのシンボル・ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)に入ってみましょう。30分ぐらいで終わりますが、ぎっしりと描かれたイコンやフレスコ画を見ることでイワン雷時代を想像できるでしょう。

・美しいの意味の赤の広場、ロシアの皇帝の歴史のクレムリンの内部に入りましょう。

・皇帝達の宝物殿「武器庫」とダイヤモンド庫でけたはずれな生活をした皇帝達の生活を見ることができます。

・赤の広場前ロシア歴史博物館で激動の歴史が見られます。

・フォーシーズンホテルの地下の考古学博物館で赤の広場周辺のモスクワ庶民の歴史が1時間で見られます。

 

 

イワン雷帝は15歳で成人し、16才の時(1547年1月16日)にモスクワ・クレムリンのウスペンスキー大聖堂で史上初めて大公としてではなくツアーリ(皇帝)として戴冠し親政を開始しました。イワンは、スラヴ民族を治めたモスクワ大公国(ノルマン系)の第11代君主。父ワシーリイ3世を持ち、母はジョチウルス(タタール系)の子孫のエレナ・グリンスカヤ。3歳で大公に即位。イワンの教育に当たったマカーリー府主教は貴族の専横を防ぐために、イヴァンを旧来の大公ではなく絶大なる神聖権力を帯びたツアーリに「アウグストウス後裔伝説」と「モノマフフ帝冠伝説」を利用しモスクワ大公がローマ皇帝の血を引くことを証ました。

 

当時、ロシアはモンゴル国家キプチャク汗国からの絶え間ない攻撃に悩まされていました。イワンは22歳の時、1552年にカザンを落し、勝利の記念に「生神女庇護聖堂(聖ポクロフスキー聖堂)」を赤の広場のイワンが崇拝してきた修道士ヴァシーリーの葬られた墓地の一角に建てました。それで、ヴァシーリー聖堂とも呼ばれています。またセルギエフポサドにもカザン攻略の感謝のため訪れ礼拝しました。

ロシアの象徴・ポクロフスキー聖堂(聖ワシリー寺院)はビザンチンから聖堂建築を学んだロシア人がドームをロウソクの炎のイメージ玉葱型に変えロシア独自の聖堂にしました。イワンは死後クレムリンのアルハンゲリスク大聖堂に葬られています。