奴隷の身からオスマン帝国最盛期のスレイマン壮麗帝の皇后、次の皇帝セリム2世の母
ロクセラーナ(ヒュッレム・ハセキ・スルタン)ゆかりの地

◎ロクセラーナ

ロクセラーナ(ルーシ人の女の意味)は現在のウクライナのリヴォフから約70kmの所にあるロガーチン市でギリシア正教会司祭の娘として生まれました。本名はアレクサンドラ・リソフスカ(1506-1558)で、ロクセラーナは後につけられたニックネーム。
アレクサンドラは1520年15歳の時にクリミア・タタール人に捉えられ、大きな奴隷市場のあったカッファ(フェオドシア)へ連れられました。それからオスマン帝国(1299-1922)スレイマン大帝(1世、壮麗帝1520-1566)の大宰相イブラヒムに買い取られスレイマンに献上されました。
アレクサンドラはスレイマン大帝からヒュッレム(陽気な人)という名をもらい、ギリシャ正教からイスラム教に改宗しました。スレイマンからほとんど盲目的な寵愛を受け、奴隷の身から正式に婚姻して皇后にまで上り詰め、スレイマンのアドバイザ的な役割も果たしました。
スレイマンとの間に4人のシェフザデ(王子、メフメット、セリム、バヤズイット、ジハンギール)、とミフリマ(王女)を設け、セリムが次期皇帝になりました。

 

○クリミア汗国(1441-1783)

ジョチ・ウルスの後継国家でバフチサライが首都。ハージー1世ギレイにより建国されました。ギレイの死後内紛がおこり、その後はオスマン帝国の従属国になりました。クリミア汗国のタタールはロシア人やウクライナ人をさらって奴隷を売買しました。アレクサンドラもその犠牲者で15歳の時に家族を殺され、カッファに連れてこられて、オスマン帝国のイブラヒム・パシャに買い取られました。
また、スレイマン大帝の母はセリム1世に嫁いだクリミア汗国の王女アイシャ・ハフサ・ハトウンと言われています。
バフチサライには「涙の泉」があります。ギレイ汗が思いを寄せた女奴隷の死を悼み涙を流す泉を作ったというものいです。プーシキンはこの話をもとに「バフチサライの泉」を書き上げました。

○フェオドシア

シンフェローポリから東へ約100kmのところにある港湾都市。期限前6世紀にギリシャ都市テオドシアとして建設されました。ギリシャへの穀物輸出港として発展、ゲルマン民族により一時荒廃しますが、1266年にジェノヴァにより植民されカッファと名づけられます。オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼすとカッファはオスマンの支配下に置かれここに大きな奴隷市場ができました。ここで当時15歳だったアレクサンドラはオスマン帝国のイブラヒム・パシャに売り飛ばされたとされています。現在はヤルタと並びウクライナの有名な避暑地のひとつとなっており、画家のアイヴァゾフスキーが住んでいたこともありました。