夏の庭園 Летний сад

ピョートル大帝が1704年に建設を始めました。装飾された花壇や噴水がある整形庭園にギリシャ・ローマ神話から題材を取った大理石の彫像を配置し、貴族たちが散歩を楽しみながら、ヨーロッパ的な教養と社交術を身に着ける場となりました。庭園は「アカデミア」となりピョートルが国家の絶対者であることを示しました。また美しいコロンヌイ(王冠)噴水は有名な建築家ラストレリの手によるものです。
1777年には、エカテリーナ2世の様式に作り直されました。女帝は古典主義の化粧を施し正門には装飾鉄柵をネヴァ川の正面に取り付けました。鉄柵は誰もが美しいと感じる見事なプロポーションをもっています。今では鉄柵のシルエットが夏の庭園のシンボルとなっています。以前は貴族しか入れませんでしたが今では誰でも入ることができて、市民の憩いの場になっています。