ロシアの復活祭(パースハ)2012年4月15日
ロシアの復活祭、正教会における最大の祭日です。ロシア語でパスハと呼びますが、正教会は西方教会諸派と違い、「イースター」とはいいません。イイスス・ハリストス(中世ギリシャ語読みに由来イエス・キリストのこと)の復活を記念するお祭りで、西方教会における復活祭に相当します。パスハはユダヤ教の過ぎ越しの祭り(パサハ)に由来します。
第1ニカイア公会議の決定によって、春分の後の満月の直後の日曜日をもって復活祭にあてます。一般には正教会ではユリウス暦の3月21日をもって春分とします。この場合、復活祭の日付はグレゴリオ暦に換算して4月4日から5月9日までのいずれかの日曜日となります。
  
復活祭は、イイスス・ハリストスの死への勝利、それによる人々への救いの記憶、そして再臨を表しています。このため、復活祭は他のお祭りとは別格のものとされています。
また、復活祭はたんに「復活」という一つの出来事を表しているわけではありません。ハリストスは信じるものにとって死から生命また真理への「門」であり「過ぎ越し」であります。復活を祝うとは、罪から赦しへ、死から生命へのそのような移り行きが、ハリストスによって与えられていることを祝い、また己がそのような移り行きを日々生きていることを想い起こし、信仰へと自身を鼓舞することでもあります。
聖体礼儀を含む復活大祭の典礼は、土曜日から日曜日へと日付の変わる真夜中に行われます。ほとんどの教会では、復活祭は、教会暦上は前日である聖大土曜日の徹夜課から引き続いて行われ、早課のあと、聖体礼儀を行います。
聖スボタ(土曜日)の夜半課(やはんか)の最後に、聖堂に安置されていた眠りの聖像が王門から至聖所に運びこまれ、王門が閉じられますと、神品は衣服を改め、堂内の照明はおとされて代わりにともされた蝋燭から、信者はそれぞれ燭をわかちあいます。信者はみな聖堂から退出し、教会の外で十字行(十字架をかかげた教役者を先頭に信者が聖歌を歌いながら行列をする)を行います。
聖堂を三周したのち、一同は聖堂正面にたち、司祭と聖歌隊の交唱により聖歌が歌われます。司祭は67聖詠(詩篇68)の冒頭に基づく聖歌を歌い、聖歌隊はその節ごとにパスハのトロパリ(後述)を歌います。復活祭ではじめてパスハのトロパリが歌われる時です。
その後、司祭が「ハリストス復活」と唱すると、信者が「実に復活」と応じます。一同はパスハの讃詞を歌いながら聖堂内に入り、蝋燭を献じ、またそれとは別に各人が手に灯した蝋燭をもち、奉神礼に参加します。
早課ではダマスコの聖イオアンの詞による八つの歌頌が歌われます。このなかで聖師父金口イオアンの「復活祭の説教」が朗読されます。
また卵の成聖も早課が終わって以降に行われます。なお大斎中節制の対象であった食物(肉や卵など)は復活大祭の奉神礼が終わった後にはじめて食されます。
聖体礼儀は金口イオアンの聖体礼儀によります。
聖変化や領聖祝文のように、通常はひざまずいたり叩拝(頭を地につけて拝む)する場面でも、復活祭期においては、立った姿勢のままを保ち、頭を下げる程度で敬意を表します。これは正教会において立つ姿勢が歓びを表すことによります。
正教会の復活祭の風習のうち、もっとも広く浸透しているものとしてイースター・エッグがあります。復活祭の奉神礼中、信者が持ち寄った染め卵が成聖され、また信者同士卵を贈りあう習慣があります。正教徒は復活祭の卵を、基本的には赤(赤は血すなわち生命と死を象徴するものです)に染めます。ですが、卵を美しく彩色する習慣もあり、帝政ロシアでは、贈り物用の彩色卵は「ファベルジュの卵」とよばれる工芸品もありました。正教会のイースター・エッグは色付けによって数種類に分類され、それぞれ異なる名称を持ちます。
復活祭のあとでは、チーズケーキや卵菓子、肉料理など、大斎中食べることのなかったご馳走を並べて祝宴を設けるのが、広くしきたりとなっています。ほとんどの教区では、深夜にはじまった復活大祭聖体礼儀のあと、午前3時ごろから復活祭のパーティーを行い、朝5時ごろ信者が帰途につく姿がみられます。
『クルスク県の復活大祭の十字行』(画:イリヤ・レーピン、1880年〜1883年)
『黄泉降り』のイコン。上方にキリストが復活した情景、下方にキリストがアダムとエヴァの手を取り人々を黄泉から引き上げる情景が描かれている。17世紀・ヤロスラヴリのもの。 正教会の司祭。ロシア正教会では赤の祭服を、復活大祭からはじまる40日間の復活祭期に用います。
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